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松井秀喜 引退スピーチ 徳光和夫とは [プロ野球]

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巨人の長嶋茂雄終身名誉監督(77)と師弟での国民栄誉賞が授与された5日の対広島戦の
試合前、巨人・ヤンキースなどで20年間活躍した松井秀喜氏(38)の引退セレモニーが
東京ドームで行われました。

10年ぶりにファンの前に現れた松井氏は多くの人の心を打つ引退スピーチをして、
テレビのゲスト・徳光和夫さん(72)も涙を流したという内容はは以下の通りです。
「ジャイアンツファンの皆様、お久しぶりです。2002年、ジャイアンツが日本一を
勝ち取った直後、ジャイアンツに、そしてファンの皆様に自らお別れを伝えなくて
いけなかった時、もう二度とここに戻ることを許されないと思っていました。

しかし、今日、東京ドームのグラウンドに立たせていただいていることに、
今、感激で胸がいっぱいです。

1992年のドラフト会議で私をジャイアンツに導いてくださったのは長嶋監督でした。
王さんのように1シーズンでホームラン55本を打てるようなバッターを目指せ、
背番号55番をいただきました。

将来は立派にジャイアンツの4番バッターを務めなくてはいけないと思い、
日々努力したつもりです。

ジャイアンツの4番バッターを任せていただけるようになり、誇りと責任を持って
毎日プレーしました。ただ、その過程には、常に長嶋監督のご指導がありました。

毎日毎日、2人きりで練習に付き合ってくださり、ジャイアンツの4番バッターに
必要な心と技術を教えていただきました。

また、その日々がその後10年間、アメリカでプレーした私を大きく支えてくれました。
そのご恩は生涯忘れることはありません。

今日、ファンの皆様に久しぶりにお会いしたというにもかかわらず、再びお別れの
あいさつとなってしまい、もう一度、プレーする姿をお見せできないのは
残念ですが、これからも僕の心の中にはジャイアンツが存在し続けます。

どういう形が分かりませんが、またいつか、皆様にお会いできることを夢見て、
また新たに出発したいと思います。ジャイアンツでプレーした10年間、アメリカで
プレーした10年間、いつもいつも、皆様からの温かい声援が、僕に元気を与えて
くれました。ファンの皆様、長い間、本当に本当にありがとうございました」

以上を語ってから長嶋茂雄終身名誉監督(77)とオープンカーに乗って球場内を一周。
続いての師弟での国民栄誉賞の授与式。それからユニホームを着ての
打者長島VS投手・松井での始球式、そして、最後には記者会見という忙しい一日。

その後、長島監督とともにオープンカーで場内一周。それから国民栄誉賞の授与式、
続いて二人が投打に分かれての始球式。感激の涙が止まらなかったという徳光さん。多くのプロ野球ファンには、大きな夢と希望を与えてもらった一日になったのでは。

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